MaaSが重要な理由。乗りものが豊かになると人はしあわせになれる

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自動運転に興味がある人なら、「MaaS」という言葉を目にしたことがあるはずです。これは「マース」と読み、簡単に言えば、自家用車以外の交通手段をシームレスにつなぐことを指しています。

こうした新しいモビリティサービスの社会実装を急ぐ動きは国内外にあります。では、なぜ交通手段・移動手段の整備がこんなにも注目されているのでしょうか。その答えはとてもシンプル。モビリティ(移動)が、人のしあわせと切っても切り離せないものだからです。

今回は、乗りものと、人のしあわせの関係についてご紹介します。

なぜモビリティが重要なのか?

「モビリティが人のしあわせと深く関わっている」というのはどういう意味なのでしょうか。まずは、理想的な未来都市を実現するうえで、なぜモビリティが重要なのかを見ていくこととしましょう。

移動手段を失うと、人はしあわせになれない

この頃、高齢者ドライバーによる交通事故のニュースがあるたびに、「高齢者は運転免許を返上すべき」とする論調が強まる傾向があります。痛ましい事故の報道を受けて、「危なっかしいから返上してほしい」と思うことは、自然なことのように思えます。

しかし、高齢者ドライバーからしてみれば、無条件に免許の返上を求められるのは、少し乱暴な気もします。というのも、高齢者ドライバーによる交通事故件数は増えてはいるものの、依然として、ほとんどの高齢者ドライバーは事故を起こしていない健全なドライバーだからです。

「自動車がないなら電車やバスを利用すればいいじゃないか」と思う人もいるかもしれません。しかし、とくに交通網が発達していない地方の場合、免許を返上したあとに外に出かける機会が激減することで仕事を失ったり、病気を患ったりてしまうケースが少なくないのです。

つまり、移動手段を失うことは、健康寿命や認知機能と直結する問題であり、人がしあわせに生きるためには、充実したモビリティが欠かせないというわけです。超高齢化社会が到来しようとしているいま、誰もが移動したいときに移動できるモビリティの構築が急務であるといえるでしょう。

みんながしあわせに?新しい移動システム「MaaS」とは?

そんな人のしあわせと切っても切れない関係にあるモビリティに革命をもたらすと言われているのが、「MaaS(マース)」です。「MaaS」とは、「Mobility as a Service」の頭文字をとったもので、「サービスとしてのモビリティ」などと訳されます。

ちょっとピンときませんが、自家用車を除くあらゆる交通手段を一つのまとまったサービスとして統合し、利用しやすい移動の仕組みを作ることを指します。具体的に言うと、電車やバス、タクシー、レンタカー、シェアサイクルに至るまで、あらゆる移動サービスをシームレスに、しかも定額で利用できるサブスクリプションサービスのようなものをイメージするとよいかもしれません。

国内ではまだ例がありませんが、海外とくにMaaS先進国とされるフィンランドでは、MaaSプラットフォーム「Whim(ウィム)」がすでに運用中されています。あらゆる交通手段が月額5万円程度(時間制限や追加料金が必要なケースもあります)で利用し放題、しかも現在地から目的地まで経路検索も予約も、アプリ内で完結できるという夢のようなサービスです。

こんなサービスがあれば、行きたい場所に移動する際、いくつものサイトにアクセスして時刻表を検索したり予約したりする必要がありません。加えて、自家用車を持つ必要がなくなるため、維持コストの問題や渋滞のリスクまで解消できるといういいことずめのシステムなのです。

地方におけるMaaSの重要性

過疎化が進むエリアにコストのかかる交通網を張り巡らせることが難しいのは明らかです。そうしたエリアではデマンド型交通方式、すなわち、利用者の要求に応じて運行するようなバスやタクシーが主流となっていくことが推測されます。

各自治体には、地域に住む人の幸福度を高めるためにも、こうしたシステムを充実させ、他の交通手段との連携を強めていくことが求められます。ひいては、地域の価値を高めることに貢献し、二拠点生活を希望する人など、多くの流入を生むことにもつながっていくことに。

各自治体にとって、交通手段の充実は、地域活性化につながる極めて重要な課題です。実現のためには自動運転の技術も大きな鍵となることでしょう。Maasを電気や水道と同じように、生活する上で不可欠なライフラインとして位置付けられるかどうかが、10年、20年後の経済勢力図に大きく影響するはずです。

乗りものが豊かになると人はしあわせになれるのか?

そもそも、乗りものが豊かになるとどうして人はしあわせになれるのでしょうか?ここでは移動することの喜び、幸福感についての研究を紹介しましょう。

主観的幸福感とは?

人文科学の領域、「主観的幸福感」という概念があります。「感情状態を含み、家族・仕事など特定の領域に対する満足や人生全般に対する満足を含む広域な概念」とされますが、わかりやすくいえば、どんなときにしあわせな気持ちになりやすいか、とひとまず考えてよさそうです。

「主観的幸福感」についてはさまざまな研究がなされていますが、人が移動するときにも、この主観的幸福感が高まることがわかっています。このことは、モビリティ(移動)が、人のしあわせと切っても切り離せないことを裏付ける重要な事実と言えるでしょう。

ある研究によると、幸福感を得るには条件があり、移動にともなう幸福感は以下の要因に左右されるのだそうです。

・移動目的 
 娯楽目的の移動(往路)だとしわせな気持ちに
 
・移動中の風景
 風景を楽しむことができるとしあわせな気持ちに

・道路や車両の混雑度
 道路や車両のなかが空いているとしあわせな気持ちに

・移動中の活動
 何かしながら移動することでしあわせな気持ちに

つまり、旅行など楽しい目的で、風景を楽しみながら、空いた車内で空いた道を進み、何か楽しいことをしながら移動すると人は楽しい気持ちになれることになります。

Maasが実現すれば、運転する必要がありませんから移動しながら風景を楽しんだり、食事をしたりしやすくなり、渋滞も解消されます。また移動手段が最適化されれば、利用する交通手段の集中化が回避され、車両内の混雑もなくなることでしょう。

結果として、移動中の風景、道路や車両の混雑度、移動中の活動が保証されることになり、よりしあわせな移動が可能になるというわけです。

コロナ禍でわかった移動の喜び

コロナ禍によってこれまでの生活スタイルに大きな制限が生まれ、移動も例外ではありません。朝の通勤ラッシュが回避されるなど、よい面もありましたが、旅行ができなくなるなどして、移動することによる幸福感を再認識したという人も多いのではないでしょうか?

観光や帰省などで遠くの場所を訪れることは楽しいものですが、わたしたちは移動そのものにも大きな喜びを感じています。もし、どこでもドアと、電車やバス、タクシーなどの移動手段をストレスなく乗り継ぐことができるシステムがあって、どちらも同じ料金で使用できるとしたら、どちらを利用しますか?

仕事目的の移動では前者を利用し、娯楽目的の移動では後者を利用したいという方が多いのではないでしょうか?もし、移動の実感がなければ、旅行した実感も得られないかもしれません。

誰もが移動をあきらめなくていい世の中に

Maasが実現すれば、今よりも自由にストレスなく移動することができるようになります。誰もが移動する幸せを奪われことなく、痛ましい事故の数も格段に少なくなることでしょう。

現在の社会では、誰かが安全に快適に移動するために、誰かが移動することをあきらめなければなりません。極端な言い方をすれば、誰かのしあわせが他の誰かのふしあわせによって成り立っているわけです。自分が前者に属するうちはあまり気になりませんが、やがて社会的弱者となったとき、その代償を払うときが必ずやってきます。

わたちたちが今よりもモビリティに関心を持ち、話題にする機会が増えるだけでも、企業や国、自治体の動きが活発になり、Maasが実装された社会の実現は確実にはやまります。他の誰のためでもなく、未来の自分のために、モビリティと移動の豊かさについて考えてみませんか?

参考:
Diener, E., Suh, E. M., Lucas, R. E., & Smith, H. L.(1999) Subjective well-being: Three decades of progress. Psychological Bulletin

鈴木春菜・北川夏樹・藤井聡 2012「移動時幸福感の規定因に関する研究」『土木学会論文集D3(土木計画学)』Vol. 68, No. 4, 228-241

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