「スマートシティ」という言葉を目や耳にしたことがある人は多いと思います。未来の都市計画や、センサーやITテクノロジーを活用した便利な生活をなんとなく連想しながらも、ひとまずのところは自分にあまり関係ないものと考えている人が大半ではないでしょうか。
しかし実際のところ、スマートシティは“参加型”の取り組みです。いまを生きる私たち生活者が中心となり、「しあわせ」のかたちを選びとりながら進める街づくりだと言い換えれられるでしょう。スマートシティについてわかりやすく解説していきます。
「スマートシティ」=「住みたい街」

スマートシティってなに?
そもそもスマートシティとは、どんなものを指すのでしょうか?まずはそこから話を始めましょう。国土交通省は以下のように定義しています。
都市の抱える諸課題に対して、ICT等の新技術を活用しつつ、マネジメント(計画、整備、管理・運営等)が行われ、全体最適化が図られる持続可能な都市または地区」
重要なのは、「ICT等の新技術を活用」する点と、「持続可能な」という点のふたつです。
「持続可能な都市または地区」とは、現在を生きる人々の要求を満たす開発を行いながらも、次の世代が必要とする地球環境が正しく保全されているような都市または地区のこと。つまり、ICT(情報通信技術)をはじめとする新技術を使って、効率的なエネルギーの使い方や、治安の維持、安全で快適な交通の確保を実現した都市または地区のことをスマートシティと呼んでいます。
センサーとITで実現する便利な街がスマートシティではない
ドローンによって宅配便が届けられ、自動運転によって渋滞を解消、温度センサーによって室内がいつも快適に保たれる…。そんなふうに、最新の技術を使った便利で効率がよい街のことをスマートシティだと思っている人が少なくありませんが、これは正しくありません。
スマートシティにおいて重要なのは、常に人、生活者が街づくりの中心にあることです。
これまで、都市計画というと、区画整理したりライフラインや建物や道路を設置したりといった、ハードウエアの整備が中心でした。そのため、人々は都市機能・構造に合わせて自分たちの考えや価値観を方向付けながら生活する必要がありました。
ところが、スマートシティ構想では、人を中心とした街づくりが行われます。単にハイテクでエコで便利な社会を目指すのではなく、最も大事なのは一人ひとりの暮らしです。人々が望む街や暮らしを実現することがスマートシティ構想の最大の目的であり、そのためにセンサーやITなどの新技術が活用されなくてはなりません。
スマートシティは閉園時間のないディズニーランド
スマートシティは、「住みたい街」と言い換えれられるかもしれません。
たとえば、ディズニーランドを想像してみてください。緻密に設計された7つのテーマランド(街)から構成され、それぞれテーマに応じたアトラクションや、装飾をほどこしたレストラン、グッズショップが設置されています。細部にまでこだわった魅力的な“街”づくりは、「夢の国」とも形容され、「ここに住みたい」と思ったことがある人も多いはずです。
そんな「住みたい街に住む」夢を実現してくれるのが、スマートシティなのです。室内はどこも快適な温度に保たれ、人工知能技術が要望を先回り。行きたい場所にはすばやく低コストで行くことができ、人が自動車をよけて歩く必要もありません。
ディズニーランドのように、その場所をあとにするのが惜しく思えるような街づくりがはじまっているとしたら、ワクワクしてきませんか?
トヨタの50年先を行くウォルト・ディズニーの夢
ウォルト・ディズニーが構想した未来都市「EPCOT」とは?
ディズニーランドを作ったのはウォルト・ディズニーが、未来都市計画を進めていたのをご存知でしょうか。世界で最初のディズニーパークを開園した1955年から11年後の1966年、未来都市計画を発表しました。
From the Office of Walt Disney: EPCOT – A Blueprint of the Future
2021年1月、自動運転をはじめとする新技術を実証するための場としてトヨタが「ウーブン・シティ」を着工し話題となりました。ウォルトの死によってEPCOTは実現しませんでしたが、55年も前に同様の計画に乗り出していたとは驚かされます。
スマートシティは常に更新・改善される未完の街
EPCOTが重要なのは、新しい要素やシステムを取り入れ、アップデートし続けることを前提としていたことです。パーク完成時、「ディズニーランドは永遠に完成しない。世界に想像力がある限り、成長し続けるだろう」と語ったように、都市もまた更新・改善され続けなければならないと考えられていました。
この考え方は、スマートシティに通じています。建物など完成したハードウエアのなかに人々を移り住ませるのではなく、そこに住む人々にとって住みよいようにあらゆるものをアップデートしていくことが、スマートシティの大きな特徴だからです。
すべての人のしあわせを実現できるかどうかがスマートシティの課題

「オメラスの子ども」が存在しない街を目指して
スマートシティというとき、それは誰にとって「スマート」な街なのでしょうか?
現代の東京には、世界最先端の鉄道システムが導入され、駅には電車と誤って接触するのを防ぐホームドアが設置されています。公園の蛇口をひねれば飲料水が出てきたかと思えば、洋服や食品のディスプレイを見ているだけで楽しいデパートが乱立し、有名レストランの数もパリの10倍以上です。
これほど豊かで楽しい都市は世界中を探してもなかなか見つからないはずですが、東京が誰にとっても「住みたい街」「スマートな街」であるかと言えば、決してそうではありません。
マイケル・サンデル氏の『これからの「正義」の話をしよう』という本のなかで取り上げられ、有名になった「オメラスを歩み去る人々」という短編小説をご存知でしょうか。
物語の舞台となるオメラスは支配者も奴隷もいない、最高にしあわせな街なのですが、この街の平和と繁栄は、ただ一人の知的障害をもつ子どもに支えられています。恐ろしいことに、その子どもは、鍵がかけられた地下室に監禁されていて、誰も助けようとしません。その理由は、その子どもが部屋の外に出ると街のしあわせが失われるためで、そのことを知る街の人が、現状を見て見ぬふりしているというのです。
現代の都市では、「最大多数の最大幸福」が目指されているケースが少なくありません。社会全体のしあわせの総量を重視する功利主義と呼ばれる考え方です。
しかし、究極的には、都市はすべての人のしあわせを叶えるものでなくてはなりません。スマートシティ構想にとって、「最大多数」からこぼれ落ちてしまう社会的弱者にもケアが行き届いた、誰にとっても「住みたい街」「スマートな街」にできるかどうかが大きな課題のひとつと言えるでしょう。
障害者やお年寄り、子どもに住みよい街とは?
たとえば、渋谷のスクランブル交差点をおぼつかない足取りで杖をついて渡ろうとするお年寄りを想像してみてください。おそらく、信号が青に変わってすぐに歩きはじめたとしても、信号が赤に変わるまでに道路のあちら側にたどり着くことはできないでしょう。
健常な成人が難なくこなせることでも、障害者やお年寄り、子どもには難しいことは案外少なくありません。健常な成人だとしても、たとえば身長が平均よりも10cm低いだけで、駅で切符を買うときに液晶画面が見えづらいことを知っている人はどのくらいいるでしょうか。
ユニバーサルデザインが浸透しつつある現代の都市でも、多くの人が「住みづらい」と感じています。最大多数の人々のあいだで、少数の視点・考えが共有されることが、本当の意味でのスマートシティを実現するためには欠かせないと言えるでしょう。
スマートシティの街づくりは“参加型”

「街づくり」は政治家や官僚、識者の仕事だと思っている人は少なくないと思います。たしかに、従来の「街づくり」は、トップダウンで進められることが多かったと言えるでしょう
しかし、スマートシティの主体は、あくまでそこに住む人です。「こんな街に住みたい」「こんな暮らしがしてみたい」という生活者の考えを反映しながら形成されなければ、いつまでたっても住みよい街にはなっていきません。
たとえば、トヨタの「ウーブンシティ」の公式サイトでは、街づくりのアイデアの提案を受け付けています。現時点では日本語に対応していませんが(2021年4月)、翻訳サイトなどを活用して、ぜひ思うところを投げかけてみてはいかがでしょうか。
スマートシティの街づくりは“参加型”です。住人が積極的に意見を出し、トライアル・アンド・エラーを繰り返しながら少しずつ理想に近づけていくことが、重要なプロセスだと言えるでしょう。
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